美容家 山野愛子について
ヤマノの美容
創設者・美容家 山野愛子(1909~1995)
美容家の草分けとして、日本美容界の発展や美容養育の普及に尽力。その生涯は多くのドラマやドキュメンタリーに取り上げられています。内面美と外面美が伴ってこそ、その人に本来備わる美が引き出されるという「美道五原則」は、今もヤマノサロンに受け継がれています。
「美容」と「女性の生き方」を
切り拓いた開拓者
01日本美容界のパイオニア
25歳の若さで美容講習所を創設し、女性が手に職をつけて自立できる道を拓く。「見て覚える」のが当たり前の時代に、美容を学ぶ教育機関を作り後進の育成に尽力しました。
02「契約結婚」の先駆け
昭和初期に、結婚相手に依存しない生き方を目指した山野愛子ですが、子どもだけは欲しいと期限を10年と区切りお互いの条件を確認して26歳で契約結婚。(更新は続き、生涯添い遂げる)
03日本ではじめての全身美容
ドイツで出会った泥浴療法をもとに、54歳で富士山麓に日本初のサウナと泥パックを用いた全身美容サロンを開店(昭和38年)。家庭にも広めたいと製品化した「クレーオリジナル」洗顔料は今もロングセラーとして愛されています。
山野愛子語録
- あたしは、いつでも新しい気分で新しいことを考えてるの。人間いつも“本日誕生”の気持ちを忘れちゃいけないと思いますよ。 『人間の記録 山野愛子』日本図書センターより
- 思ったことはちゃんと叶っちゃうのね。こうと思ったら必ずそうなる。絶対叶わないことなんてないですよ。だからそれ、生徒たちにも言うんです。「コンクールのときは一等取るつもりでやりなさい。思って努力すれば叶うのよ」 『人間の記録 山野愛子』日本図書センターより
- 結婚第一夜にその約束を交わしました。
ともかく十年は一緒にいる。お互いに秘密を持たない。子供が一人生まれるごとに店を一つふやす。(結婚にあたっての夫との約束) 『人間の記録 山野愛子』日本図書センターより - 祖母は夜寝る時に布団の中で、どんな大変な一日であったとしてもその日にあった「良いこと」を考えて眠りに付くと話していましたね。 山野幹夫 ヤマノビューティメイト代表(祖母・山野愛子の思い出について聞かれ)
山野愛子 年表
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- 大正14年(16歳)
- 東京・向島で山野結髪所を開講
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- 昭和9年(25歳)
- 日本橋に山野美容講習所を開設
日本で最初のパーマ技術指導を始める
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- 昭和20年(36歳)
- 戦争で都内の全美容所を失うが翌年、中野区に美容所と講習所を開設
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- 昭和24年(40歳)
- 現山野美容専門学校を開設
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- 昭和38年(54歳)
- 富士山麓に日本初の全身美容サロンを開設
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- 昭和46年(62歳)
- 全日本美容講師会会長に就任
山野流着装(きそう)教室を創立
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- 昭和61年(77歳)
- 世界理美容技術選手権大会で国際審議員に
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- 平成3年(82歳)
- 夫・治一が死去
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- 平成4年(83歳)
- 山野美容芸術短大を開学、学長に就任
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- 平成7年(86歳)
- 死去